価値って、なんだろう。
ぼくってカツ丼が好きなんですよ。
昔、長崎に寿屋っていう
ショッピングセンターがあって、
ご飯を食べるときは
いつもカツ丼を注文してたんです。
小学校だったか、保育園だったか、
それすらも曖昧なんだけど、
あの時食べた少し甘くて
ふっくらしたカツ丼の記憶が
今でも残ってて。
正直、あのカツ丼を超えるカツ丼って、
いまだにないかもなあって思うんですよ。
でも、冷静に考えると、
今の方が絶対においしいカツ丼って
いくらでもあるはずなんですよね。
なのになんであのカツ丼が
一番においしく感じるのか。
たぶん、カツ丼そのものじゃなくて
あの時の記憶や感覚が
一緒に乗っかってるからなんですよね。
そんな昔話から「価値」について
話を持っていこうと思うんですが、
価値ってモノの中に
あるわけじゃないんですよ。
あのカツ丼が特別なのは、
カツ丼自体が特別だからじゃなくて、
あの時のぼくの状態と、 あの場所と、 あの空気と、
全部が重なって、初めて「特別」になったんです。
つまり、価値っていうのは、
モノと人の「間」で生まれるってことです。
これ、情報発信も同じだなって
思うんですよね。
自分には価値がなかった
高校生のとき、
専門学校の受験にことごとく落ちました。
そう。「絶対受かるだろう」って言われてたのに、
全部落ちた。行きたいことろ全部ね。
自分に自信を完全に失って、
最後のチャンスの後期試験で
ようやく受かったんです。
そのとき、
母親に抱きしめられたんです。
「受かってよかった」
じゃなくて、
頑張った自分を認めてくれた。
そのとき、
生まれて初めて思ったんです。
「あ、自分って価値があるんだ」
って。
なんか言葉にできない
ポカポカした暖かさを
感じたのを思えています。
もう一つ、忘れられない瞬間。
それは、
自分の子どもが生まれたときでした。
この子の父親として、
自分の価値を誇りに思った。
誰かに何かを教えたわけでもない。
すごい実績を出したわけでもない。
ただ、この子の父親である、
それだけで価値があると感じました。
子どものために
生きていこうと思った。
この2つの体験って
今でも鮮明に覚えてるんですよね。
なぜかというと、どちらも
「自分が何かを持ったから」
価値が生まれたわけじゃないから。
お母さんに抱きしめられたこと。
子どもが生まれたこと。
何もなかったけど、確かに、
価値が生まれたんですよ。
「価値がある人」になろうとしてた
それに気づく前のぼくは、
ずっと「価値がある人」になろうとしてました。
専門学校の受験の話に戻るんですが、
学校の成績は上の下だったし
一次試験の筆記は毎回通ってた。
学校の先生にも
「お前は受かる」
って言われてた。
だからそのつもりでいたんです。
なのに、落ちた。
小論文と面接でことごとく落とされた。
推薦も、一般も。
手応えが、まったくなかった。
「なんであいつが受かって、オレが落ちるんだ」
って僻んでた。
いや、正確には
誰かのせいとかじゃないんですよ。
ただ、意味がわからなかっただけ。
先生が受かるって言ってた。
筆記も通ってた。
なのに、なんで???
理由が分からないまま落とされ続けると、
じわじわと変なことを考え始めるんですよね。
「もしかして、オレって
そもそも何かが欠けてるんじゃないか」
って。
スキルとか、知識とか、そういう話じゃなくて。
もっと根っこのところで、
「人間として何かが足りない」
みたいな感覚です。
行きたい学校にも行けず、
何をしたいのかも分からなくなって、
自分がどこに向かえばいいのか
完全に見失っていました。
怒りをぶつけるわけでもなく、
泣き崩れるわけでもなく。
朝起きて、学校行って、家に帰る。
ただ、それだけ。
この先どうなるかとか、どうしたいとか、
そういうことを考えた記憶が
ほとんどないんですよね。
感情が動いてた記憶もない。
ただ淡々と時間が過ぎていったこと
しか覚えてない。
今思うと、
あれが一番しんどい状態
だったのかもしれない。
激しく傷ついてるわけじゃないんだけど、
でも、何もない。
自分がどこにいるのかも、
どこに向かえばいいのかも分からないまま、
ただ毎日をやり過ごしてた。
そんな経験をしていたからこそ、
副業を始めた当時も、
スキルを増やして、実績を作って自分を磨けば、
価値を持てるようになると思ってた。
でも、どれだけやっても、
「まだ足りない」
「もっとすごくならないと」
ってなるんですよね。
なぜかというと、
価値って自分の中に固定的に存在するものじゃないから。
価値は、あなたと誰かの〝間〟で生まれる
じゃあ、価値ってどこにあるのか。
その結論を先にお伝えします。
価値とは、相手の中にある、
・満たされていない状態
・言葉になっていない悩み
・まだ意味づけされていない痛み
・寂しさ
・つながりたい気持ち
・どうしていいかわからない感情
そうしたものと、
あなたの持つ、
・経験
・視点
・感情
・言葉
・物語
・存在そのもの
が結びついた瞬間に、価値は生まれるんです。
母さんがぼくを抱きしめたのは
「受かった」という実績に
反応したんじゃなかった。
落ちて、落ちて、
それでも諦めなかったぼくの痛みと、
お母さんの「この子を認めたい」という気持ちが
結びついた瞬間だったんだと思う。
だから、自分一人でどれだけ磨いても
つながる相手がいなければ価値はゼロ。
よく言いますよね。
あなたには価値があるって。
でも少し違うくて、
あなたの価値を感じてくれる人がいるんです。
「価値がある人」と「価値がない人」
がいるわけじゃないんですよ。
あなたの中身は
都会にいようが砂漠にいようが変わらない。
たとえば、コンビニで100円の水は
砂漠では1万円になることもあります。
でもこの水の中身は
1ミリも変わっていません。
変わったのは、相手の「状態」だけ。
都会の真ん中で
水を欲する人は少ないかもしれない。
でも、砂漠のど真ん中なら
水ってかなり貴重だから。
つまり価値っていうのは、
モノやスキルの中にあるのではない
ってことです。
変わるのは、
価値を感じる相手の状態だけ。
だから「もっとすごくならないと」じゃなくて
「今の自分が届く相手は誰か」を考える方が、
ずっと本質的なんですよね。
「相手の満たされていない状態」と
「あなたが差し出す何か」が結びついた瞬間に
初めて価値は生まれます。
だから、自分一人でどれだけ磨いても
つながる相手がいなければ価値はゼロでしかない。
価値は「単体では成立しない、不完全なもの」
であるということなんです。
価値って、あなたの中に単体であるわけでも、
相手の中に単体であるわけでもないんです。
価値は、〝あなたと誰かの間〟で生まれる。
これがぼくが導き出した結論です。
次回は、じゃあその「届く相手」に
どうやってつながるのか?
その話をしたいなと思います。
今回はここまで。
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感想なんかもらえると嬉しいです。
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ラフ|価値の創造屋

